とりあえず旅にでよう ~あらうんど ざ わーるど~

とりあえず世界一周に行ってくらぁ!

【世界一周:30日目 カンボジア編】世界中に花束を【アジア】

チョムリアップ スオ!
カンボジアの悲しい記憶。







それでは世界一周30日目スタート!
宿にて8時起床。


先ずは宿の無料朝食!

ブュッフェスタイルだよ〜




準備をして10時頃しゅっぱーつ!





今日はトゥクトゥクを貸し切るぜ〜

半日貸し切って1人10ドルだったよ〜






1時間くらいでキリングフィールドに到着!

ここからは虐殺や拷問などの内容なので苦手の方はご注意下さい!








皆さんはキリングフィールドって言葉を知っていますか?

約30年前、カンボジアポルポト政権だったころに大量虐殺が行われた場所の跡地です。



そんなキリングフィールドはカンボジア国内に300カ所以上あると言われています。

しかもジャングル内にあり発見出来てない場所もあるそう。




今回訪れたのはそんなキリングフィールドの内の一つ、チュンエク大量虐殺センターです。







「新しい土地に移動する」

そう言われて連行されて来るのは医者や教師などの知識人。

ポルポト率いるクメール・ルージュは「知識こそが人々に格差をもたらす」という考えから、国民に知識人は要らないと考えた。

その思想は時にメガネをかけているだけで、手にマメがない(非肉体労働者)だけで処刑の対象になったそうです。






そうして連行された知識人はハンマー、ノコギリ、鉄パイプ、竹の棒など身近な物で殺されました。









何故なら銃弾は高いから。





さらにはヤシの木も殺害道具となりました。

ヤシの木の幹はギザギザになっていて、本来は鶏の首を掻き切っていた。

当時はそれで人の首を掻き切っていたそうです。







このスペースからは450人以上の遺体が見つかったそうです。

小さいスペースに詰められた遺体からはガスが発生して地面は盛り上がり、辺りは酷い臭いがしたとのこと。






この小さいでこぼこ全てが埋葬地だそうです。

発見当時は5m近い深さだったそう








ここには主に女性や赤ちゃんが埋められていた。

カンボジアの女性は今でも服を着てシャワーを浴びる人がいるほど慎み深いですが

ここでは敢えて人前で裸にされ殺されたそうです。








そしてこの埋葬地の近くにはキリングツリーと呼ばれる木があります。

赤ちゃんはこのキリングツリーに頭を打ち付けられて殺されたそう。

だから発見当時は木の幹に血痕、髪の毛、脳みそが付いていたとか。





キリングツリーには多くのミサンガかかけられてます。

安らかな眠りを祈って。







最後には慰霊塔があります。

この慰霊塔の中にはチュンエク大量虐殺センターで発見された遺体の頭蓋骨が並べられています。



その数2万体。



これだけで充分恐ろしいですが、さらに恐ろしいのは、






この大量虐殺を実行していたのは12歳近くの子供という事。


農村部の子供はクメール・ルージュに知識人の虐殺こそが正しいと教え込まれていました。

そして疑いもなく、大人達を殺していたのです。







結局ポルポトは当時の人口800万人の内、300万人を虐殺しました。


それが30年前の出来事だったこと。

僕が生まれる少し前です。
事前に調べて知っていたけど、実際に訪れてみると言葉を失いました。







キリングフィールドの次はトゥールスレン虐殺博物館へ。

キリングフィールドが虐殺の場所で、ここは拷問の場所です。


ここではクメール・ルージュの反乱分子や罪のない知識人が連れてこられ、拷問を受けて自白を強要されたそうです。



その拷問内容はおぞましいものばかりでした。

多い人は1日に3回も拷問を受けたそうです。


そして自殺防止のため、持ち物の所有は禁じられていました。

それでも看守のボールペンを奪って自分に刺したり、灯油ランプを自ら被り自殺を図っていたそうです。


ここは余りにも内容がエグすぎて写真を撮る事が出来なかった。



最終的には約3万人が収容され、生還出来たのは8人だったそうです。






今日は虐殺や拷問などの重い内容でした。



でもこれは約30年前と最近の出来事なんです。

そしてこれから先、何十年何百年経とうが忘れてはいけない出来事。


その為にキリングフィールドやトュールスレンの様な施設があるんだと思います。

皆さんもカンボジアを訪れる機会があったら、是非実際に見て欲しい。






そして現在のカンボジアも感じて欲しい。

確かに大きな傷が悲しい過去があるカンボジア




それでも現在は笑顔があるカンボジア

僕はそれで良いと思う。


決して忘れる事なく過去を背負って、新しくそして大きくカンボジアが発展していく事を願っています。





そんな感じで今日はここまで。